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目黒区「自由が丘」は丘にあらず?
おしゃれなお店が並ぶ街並みと閑静な住宅街が共存し、都内屈指の高級住宅街、住みたい街ランキングでの上位が定番の目黒区の東横線「自由が丘駅」。
日本でのモンブラン発祥のお店があるのも、この自由が丘なんですね!
「丘」とは言っていますが、実はこの自由が丘駅は丘に存じてはいなく、むしろ「谷」と言っても過言ではない立地に存じているのです
以前このエリアには、九品仏(くほんぶつ)川という川が流れ、現在の駅周辺には水田が広がっているエリアでした。
※現在は九品仏川緑道に地下に覆蓋され下水道となっております。
地名も当時は衾村(ふすまむら)と呼ばれていたようです。
由来は諸説あるようですが、
・この地に古くからあった民間信仰の神の名「塞坐大神(ふせぎますおおみかみ)」から転訛した。
・かつてこの地が谷に挟まれた「谷間(はざま)の地」であったことから、それが転訛して「ふすま」となった。
・この地が昔から馬の飼料「麩(ふすま)」の産地として知られていたため。
・湿地に馬が足を踏み入れたところから「伏馬(ふしま)」と呼ばれた。
等があるようです。
それではなぜ、丘でもなく、地名でもないこの地の駅に「自由ヶ丘」という名前がつけられたのでしょう。
それは、大正デモクラシーの受けた手塚岸衛という人物が、「子ども自らが、自らの力を出して自己を開拓して進む力をつけてやるのが教育である」という自由主義的教育の思想を掲げ創立した学校から由来しています。
そうです、その学校名が「自由ヶ丘学園」だったのですね。
そうして駅名となった「自由ヶ丘」は次第に住民にも浸透していき、住所として使用する者も多くなった結果、昭和7年には正式に自由ヶ丘という地名へと変わることとなったのです。
ただ、この自由ヶ丘学園の建てられた場所は現在の自由が丘駅からも近く決して丘ではありません。
確かに自由ヶ丘駅から数分歩くと、なだらかな坂の地形になっており、遠くに見える「自由」と「丘」を掛け合わせたのでしょうか。
※個人的見解です。
実際に自由が丘駅周辺を歩くと、自由が丘駅が谷であることを実感できます。
下記に、自由が丘学園と自由が丘駅の関係について、年表にまとめました。
★:自由が丘駅について
■:(旧)自由ヶ丘学園について
—・:(現)自由ヶ丘学園について
★1927年 九品仏駅(くほんぶつ)として開業
—■1927年 手塚岸衛が自由ヶ丘学園(幼稚園、小学校、中学校(旧制中学校))を創立
※2023年にオープン予定のイオンモールの新商業施設「(仮称)自由が丘二丁目計画」(旧ピーコックストア)の跡地
★1929・年 大井町線の新駅がより九品仏に近い場所に出来ることとなり、新駅が九品仏駅と名乗り、旧九品仏駅は自由ヶ丘駅に改称
・1930年 手塚岸衛が自由ヶ丘学園 創立
※当時の中学校(旧制中学校)と現在の高校とを併せたような機関
※1927年に創立の自由が丘学園とは系列は同じですが、立地は現在の自由ヶ丘学園高等学校のある場所ですので別物ととらえた方がよさそうです。
★1932年 住民の要望を受け、地名も自由ヶ丘に変更
—■1935年 創立者手塚の死去に伴い、中学校は藤田喜作に引き継がれ、男子中学校として新しくスタート
※当時の中学校は12歳から5年間の修行年数があり、現在の中学校、高校の役割を持っていたようです。
—■1937年 幼稚園、小学校を小林宗作が引き受け「トモエ学園」を創設
—■1945年 東京大空襲により幼稚園、小学校が消失し、のちに幼稚園のみ再建
—■1946年 小学校の部廃止
——1947年 学校教育法が施工される——
※1948年 旧制中学校は廃止され、新生高等学校、次に新生中学校が発足し、現在の制度のように変わっていくこととなります。
■1948年 中学校(旧制)廃止
—・1948年 校名を自由ヶ丘学園中学校高等学校と改称
—・1959年 中学校を休校とし、校名を自由ヶ丘学園高等学校へ改称
※1994年には正式に廃校となり、高等学校のみが残存することとなる。
—■小林の死去に伴い幼稚園を閉園、以後休園、1978年に正式に廃園となる
★1966年 自由ヶ丘駅を「自由が丘駅」へ改称
—■1968年 跡地にピーコックストア
—■2021年 ピーコックストア 閉店
—■2023年 新しく商業施設がオープン予定
いかがでしょうか?
駅名・地名となった自由ヶ丘学園(丘の上の立地ではない)は既に存在はしてはおりませんが、同系列ので後発の自由ヶ丘学園(丘の上の立地)は、この自由ヶ丘の丘の上で残存している、という複雑な関係でした。
下記が現在の自由ヶ丘学園高等学校です。
後発のこの自由ヶ丘学園は丘の立地に建てられていることが写真でも分かります。
ピーコックストアが営業していた時期をご存じの方は、約100年前から自由ヶ丘という歴史は始まり、教育機関はスーパーへと代わり、また2023年には新しく商業施設へと変貌していく、という歴史と現在への繋がりを感じられたのではないでしょうか?
当時のピーコックストアです。
そして下記が現在は解体され、工事中の跡地です。
学校名が駅名となり、更には地名にまでなった、というとても珍しい歴史と由来を持つエリアですね。
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更新日:2023.03.16